啓蒙思想編
こんにちは。FPおじさんです。(^^♪
前回に続き、混迷の時代を生き抜くためのバイブル福澤諭吉先生の「学問のすすめ」を読み解きながら、今私達がすべきことは何かを考えて行きたいと思います。齋藤孝先生が現代語訳された「学問のすすめ(ちくま新書)」をご準備ください。
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〈第11編〉美しいタテマエに潜む害悪「名分論はニセ君子を生む」※中略
「名分」のそもそもの由来を考えてみよう。たしかに、表面的には強大な力でもって弱い者を支配するという意味には違いない。けれども、その本来の趣旨としては、必ずしも悪意のある考えから生まれたのではないのだ
自分の身にもかえられないほど愛しているわが子に対しては、教え、諭し、ほめるのも、叱るのも、すべて真の愛情から出ているから、親子の間が一体になって、その快適なことはたとえようもない。これがすなわち親子の付き合いであって、この場合には上下の区分である「名分」も立って、差し支えとなることもない。
〈FPおじさんインプレッション〉
第11編の教えは、全17編の教えの中で最も理解が難解だとFPおじさんは感じています。なので、少しずつ解説をして行きたいと思います。FPおじさん独自の解釈なので学者の方からお叱りを受けるかもしれませんがご容赦ください。
「名分」という言葉は、現代風の言葉に置き換えると「パワハラ」ではないかとFPおじさんは感じています。会社において、管理職が強大な力をもって弱い社員を支配することがまさに「名分」だと思います。
一方、家庭内において親御様がお子様を叱ることをパワハラとは言いませんね。なので親子間においては、「名分」は成立しないことになります。したがって、「名分」という言葉は必ずしも悪意のある考え方から生まれたものではないのです。
出典:現代語訳 学問のすすめ
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